2009.02.05

春を呼ぶ裸たるみこし

春を呼ぶ 「裸たるみこし」 2009
 立春を迎える節分の2月3日、宮城県栗原市一迫で恒例となった、春を呼ぶ「裸たるみこし」が今年も行われました。
 かつて、松尾芭蕉が平泉から南下して尾花沢に向かった「奥の細道」である上街道(かみかいどう)の街場、一迫町内を練り歩いたのでした。
 街道の氏子なのか、ならいで祝儀のお水かけをいたします。
2009_2
 今年は積雪がなく、この日はぬるい節分となったのでしたが、それでも下帯一本に頭からひや水を祝儀されたのでは、そうそうありがたいものとはいかなかったでしょう。


 (春を呼ぶ裸たるみこし 2009.2.3 Kanaya Report )

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2008.11.04

SuitSat-1(宇宙服衛星、スーツサット1)

Sutesat1s_3
ISS国際宇宙ステーションのロシアチームが放出した「宇宙服衛星」の受信確認証が届きました。
受信報告が2006年2月のことだから、2年半を経て受けとったものでした。世界中の多くの人が期待とか希望とかをもって見守ったアマチュア無線のイベントでした。いらなくなった宇宙服に日本製のアマチュア無線機を搭載して、宇宙に放出し簡易衛星にしたものです。
公開されたデータで軌道計算をして、頭の上を通過する衛星の電波をひろったのです。
栗駒山の上空あたりから、ビービーと言いながら衛星が通過して仙台方面へ飛び去ります。その、1、2分をレコードし報告したのでした。

その気にならなければわからないのですが、頭の上を衛星はいつも通過しています。星出さんのISS最終フライト写真を眺望撮影していますので、次回に!

(Certify、確認証の名前とコールサインはマスクしています)
SuitSat-1、宇宙服衛星(isi OFC 2008.11.3)

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2008.07.04

2008岩手・宮城内陸地震

2008岩手・宮城内陸地震080614 2008年6月14日(土)9時近く、震度6強の大きな地震が栗駒山を眺望するこの地に発生した。震源地は眺望する「今日の栗駒山」の右方を北に下った辺りだそうな。成層火山の噴火口を取り巻く火山灰地層の断層だ。
 この時、休日なので自宅の2階におりましたが、まるで時化(しけ)の船上にいるような気分でした。この時は、まだ朝寝中だったので「釣れない釣り船に乗った夢」をみたのでした。そして、箪笥の上からダンボール箱が落ちてきて地震とわかり家族を探したのです。
 宮城県沖地震、来やがったかと飛び起きたはいいが、戸棚の中身が放り出されたゴミ屋敷の様相だ。それでも、第一は家族の安否を確認することだった。宮城県沖地震を想定して家具は固定などの対策をしているので、不具合もなく気持ちも落ち着いてはいたのでしたが、地面というものへの信頼が杞憂状態になったのでした。
 この後しばらくの間家族も妙な不安感にさいなまれたのです。2005年8月の三陸地震では震度5弱を経験したのでしたが、このときも家族一同在宅で「家が壊れるナ!」と皆思ったのでした。言わんをやであります。
 近々でも震度3の余震が毎日のように続いています。そんな近況です。
 写真中央は先の大戦中、激戦地ガタルカナル島で戦死した大叔父の墓石です。憤懣やるせなく飛び出したように2mほど南へ落ちていた。(isi OFC 2008.7.3)
 

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2008.04.16

今日の栗駒山

080415koma_2
今日の栗駒山
 宮城県栗原市築館の薬師山から眺望した今日の栗駒山です。南側の桜は満開近いのですガ、北側はまだまだつぼみです。栗駒おろしのせいでしょう。
 ここには白鳥省吾の歌碑があり、桜見ついでに立ち寄ったのです。省吾は大正時代の民衆派詩人ですが、今も存在が色あせません。
 文学の本質を考えるとき、自己表現なのかストリーテラーなのか頭の片隅に置いて構えるのですが、詩人は心象をスケッチするのでしょう。掘田善衛「若き日の詩人たちの肖像」に登場する省吾は、誰にでも書けて誰にでも読める詩を書く民衆詩人、と言っていたように記憶している。田山花袋が私小説を日本の文化としたように、省吾は私詩を日本文化に添付したように思えるのだが。
 そんなことを考えながら、同窓の先輩である省吾の歌碑の前で栗駒山を眺めていた。省吾の思いは、栗駒山と対峙する歌碑にこう刻まれている。

 生れ故郷の栗駒山は、富士の山よりなつかしや (読みくだし)

(今日の栗駒山 2008.4.15 isi OFC)

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2008.02.25

一等三角点「姉歯村(あねはむら)」

一等三角点「姉歯村(あねはむら)」
anehamura

 ○踏査記録から~「1999.9.12 晴れ 30℃ 風5m~、38.46.56/141.03.35 付近から取り付き38.47.01/141.03.56 付近へ下山。三角点西方約100mに「三峰宮」石祠あり、又、北東には踏み跡あり、約5分で下山可」、

 以上my地図に記録してあったメモです。(携帯GPSで行動してましたのですガ...)

 なんのコッチャ!9909三峰宮

 「一等三角点の旅」などと言うと大げさですが自動車で気軽に行くことが出来る平地の三角点です。買い物帰りの一等三角点登山です。
 地形図を見て取り付いたのですが、猛烈なヤブこぎ。ぽっと出た尾根筋にあったのが「三峰宮」。
この石祠が何でこんなところにあるのだろうか?「金成町史」をたぐってもわかりませんでした。ご存知の方おられませんでしょうか。と、いうことなのですが、、、
(Kanaya Report 2008.2.25)

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2007.12.23

バッケ採り

バッケ採り
北緯38度での蕗のトウ採りです。この季節でも収穫があります。椎茸まで採れました。(Kanaya Report by moblog)

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2007.11.26

鳥海山

071117_3鳥海山
何年ぶりにこのアングルから鳥海山を見たのかなァ、などと思ったのでした。
雄大で、迫力のあるとてもいい山だ。
積雪の鳥海山には何度も登り、地形の難しさから山頂にいたる苦労を何度も経験した。
登山を志すものにとっては、四季を問わず登龍門だ。
そんな鳥海山を見ることが出来て得をしたような、そんな気分の一日だった。
この日は「第5回北日本海外登山研究会」の日。
開催担当は、遊佐町の今野先生。60歳の時、世界最高齢でエベレスト(北面からのチョモランマ)登頂をした元気のいいお父さんだ。(まったくもって元気の塊だ)
久しぶり参加した今回の会ではK2登山の話があって、オドロキ桃木などでありましたが。

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黒い柿

黒い柿
黒い柿が今年も生りました。苦労が実った今年になったかな?などと思って眺めています。ISI OFC(by_mobile)

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2007.05.27

伊達篤郎さん

伊達篤郎さん

 仙台藩志会、宮城県山岳連盟会長等々を務められた、伊達篤郎さんが96歳で亡くなられた
 天寿を全うされました事、ここに合掌いたします

 伊達篤郎さんとの出会いは、1992年中国陝西省太白山への登山でありました
 平成元年のUターン後、初めて宮城県内の方々と海外登山をいたしました
 現地で少しくトラブルはありましたが、未開放地区での友好活動、登山活動のリーダーはトクさんでした、大きな存在感を感じたものでした
 その後、2000年東北地区チョモランマ登山実行委員会の委員長で、チョモランマ登山を成功させられたのでしたが、実行委員の私は会議や送迎で親しくお話をさせていただく機会が多くありました。トクさんとは出身地の隣町なので気心を許してもらったものか、とても貴重なお話を、ずい分と伺ったものでした
 まことに失礼ではありますが、90歳になろうかというおじいさんがはるか昔のことを鮮明におぼえていて、はっきりと的確に表現することの驚きでありました
 トクさんからは、判断する力、的確な記憶を持つこと、それを表現する方法などを学んだのでした

 安らかにおやすみされますよう、と願っております 「金矢通信」 石川

(伊達篤郎さん 2007.5.27 isi OFC)

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2007.05.26

金魚の知能

金魚の知能

 最近のTV番組で、カラスに漢字を認識する能力があるという実験結果を放映していた。漢字を認識して餌を獲得するのでした。
 それを見て、以前水槽で飼育していた金魚の事を思い出したのです。
毎日餌を与えて、水槽の掃除をする私を金魚たちは判別していたのでした。
 部屋に入ると、無秩序に泳ぎまわる金魚たちが一斉に私の方へ整列するのです。
初めは良くわからず、餌が欲しいのだろうと思いアクリル水槽の側面をコンコンと叩き、
給餌したのでした。しかし、まず食餌しません。給餌は朝だけなのです。
 このような状況が何回も続き、家族と実験をしてみたのです。
2間(3m60cm)先の水槽へ、居間入口の戸を開けて顔を出してみる事にしました。

  ・顔だけを出す=整列し凝視
  ・メガネをはずし顔を出す=無視して泳ぐ
  ・メガネを替えて顔を出す=無視して泳ぐ
  ・家族が顔を出す=無視して泳ぐ
  ・メガネをかけた家族が顔を出す=無視して泳ぐ

 結局、普段から「ご飯だよ~」などと言いながら、餌をやって水槽の掃除をしている者を記号認識しているのだろうと考えたのでした。この日は、ちょとばかり興奮しました。
 なんたって、たかが金魚と気持ちが通じたのですからネ!
(金魚の知能 2007.5.25 Kanaya Report )

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2007.05.07

貂(テン)

070506tendv_1
貂(テン)
家近くの舗装道路わきに、テンが息絶えていた。車にはねられたのだろう。
かわいそうだと思い、拾って来てウコン桜の根元に埋めてやった。
隣のソメイヨシノ桜の根元には、生年1年に満ずになくなった愛犬「桜」が眠っているのです。
あまり楽しいお話ではないのですが、

 花になれよ!

との心意気であります。

ここ数年、里山の人家近くにカモシカ、熊などが頻出しているのですが、山と里の境界がわからなくなっているのです。里山境界の消滅でしょう。
 言ってみれば、中山間農村、里山は無くなってしまうような状況にあるのですが、テンもその様な環境の犠牲になったのでしょうか、そんなことを思った今日この日でした。(テン 2007.5.6 isi OF)

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2007.01.23

納豆(なっとう)

P納豆(なっとう)
近頃のニュースでしたが、納豆が悪いわけではありませんよね。
納豆のパッケージ紙コレクターとしては、かわいい自分の子供に難クセやイチャモンを付けられたような、そんな気分で腹が立ちました。
優秀な食品で、旨いおいしい、とエールを送ります。
納豆頑張れ、ナ。(納豆 2007.1.23 isi OFC)

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2007.01.17

寒日のタンポポ

Photo_7寒日のタンポポ
寒中なのにタンポポが咲いています。どうも違和感があるのです。
タンポポは年がら年中咲くのですが、この時期は雪があるので咲くことはないのです。
ところが今年は、雪がありません。そのせいで、イグネという屋敷林周りに、結構咲いているのです。
もちろん雑種の西洋タンポポですが、海外登山の折、標高4000m辺りでも見かけましたので寒さには強いのでしょう。
おかしな今シーズンですネ。(Kanaya Report 2007.1.16)

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2007.01.01

今日の栗駒山

2koma 謹んで新年のお慶びを申しあげます、本年も変りませずよろしくお願いいたします
 年の初め、本日、「今日の栗駒山」の初姿です

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2006.12.29

ガタルカナル島からの手紙

Photo_6ガタルカナル島からの手紙
日本は、昭和16年12月8日米国に宣戦布告をしハワイ島真珠湾に先制攻撃を行った。
攻撃の合図は「ニイタカヤマノボレ」、成功の暗号は「トラトラトラ」もちろん和文電信だ。
翌年の昭和17年にはいわゆる「南太平洋戦争」で多大な犠牲を払ったのでした。
新高山(ニイタカヤマ)は台湾の玉山で富士山より標高が高い植民地の最高峰だ。
めちゃくちゃですよね、どう理解しようか、などとは考えずに知らぬ存ぜぬを決めたい掃除中です。
 写真は大叔父の戦死通告。開戦1年に満たない昭和17年11月1日の戦死でした。
 ソロモン群島ガタルカナルでの戦死通告です。私たちの想像を越える激戦だったでしょう。
 涙は止まらない
 一切の国家援助なく、墓守をしておりますが「なんだ」などと思う年末大掃除です。
 負ける戦争をしてはいけない。やるなら勝てと思うのですが、乱暴だな。
(ガタルカナル島からの手紙 2006.12.29 isi OFC)

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南部中将

Photo_5南部中将
モデルガンのお話しです。
アンコプライアンスのヘルマン・ゲーリングを言うなら南部さんを語れと警告、いやアドバイスをいただいた。

 南部麒次郎 陸軍中将は大正14年大佐時、陸軍正式拳銃を設計製作したのでした。
 それが「南部14年式」といわれる、われら日本の誇る名機なのです。
 名機は多くを語らず、沈黙いたします。そのような、日本の誇りであります。

 硫黄島からはどんなメッセージが着たのだろうか?
 敗戦時に没収されたこの名機は、ハワイと米国本土に多数残存します。
 なんとか、文化財として回収保存願いたいものです。

年末の掃除途中、物置から探し出したレプリカを写真UPします。
掃除とは、何からなにまでやらねばならんものなのですね。
(南部中将 2006.12.29 isi OFC) 

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2006.12.28

ヘルマン・ゲーリング

Herman_gg001ヘルマン・ゲーリング
写真は「ルガーP08ヘルマン・ゲーリングスペシャル」のレプリカです。
ヘルマン・ゲーリングへのプレゼンテーションモデルです。
年末の掃除途中で出てきたゴミだ。
ハンドガンの、その使い方を考えずに鑑賞すれば職人さんの心意気などが伝わってくるものです。
ちゃんと言えば、人殺しの武器なのに美しいということなのです。
このレプリカは、実銃から採寸した完全分解モデルだ。もちろん、コンプライアンスで火薬発火は出来ません。
 ヘルマン・ゲーリングは、ナチスドイツのナンバー2、IQは天才レベルであったといいます。悪さをするには充分な能力だァナ。
何が時代を動かし、正義は時代と連動しているのでしょうか?とか考えながら、夕刻の台所ストーブ前で呑む冷たいビールがうんと旨いのでありました。
 
そんな年末の掃除をしています。
(ヘルマン・ゲーリング 2006.12.28 isi OFC)
 

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2006.12.24

鯛のタイ

Photo_4鯛のタイ
 魚の骨です。鯛の兜煮を食った後にヒレのつけ根にあるやつです。魚の骨なのに、魚の姿をしているのです。かわいいですよね。「そんなもの集めてどうする」とよく言われますが、魚好き、釣り好きにはやめられないのです。外食中に、魚の頭をしゃぶったり分解したりしていると、まるで野良猫が餌を漁っている風体になり、「見っとも無いから止めろ」などと言われますが、それでもめげずに作業を続けるのです。
    コレクターとは;好きこそモノの上手なれ!
 「鯛のタイ」は魚の肩甲骨(けんこうこつ)です。正確には、肩甲骨と烏口骨(うこうこつ)が癒合したものだそうです。が、どうでもよろしいのです。魚の種類によってかなりのバリエーションが楽しめるところが好いんですね。例えば、岩魚なら「いわなのタイのタイ」と命名して釣魚日、場所などを記入してサンプリングするのです。 買った魚なら、食った日と魚種を書いてケースに入れておきます。そんなことをやっていますが、鯛の「タイのタイ」は一番かわいいし、上品です。(鯛のタイ 2006.12.24 isi OFC)

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2006.12.22

憂国の建白書

Yukoku憂国の建白書
 物置の片付けをしていて、古い雑誌の切抜きを見つけた。A4の茶封筒に入った月刊誌14ページ分の切抜きだ。要らない雑誌の間にはさみこんであるので、捨てられずに取っておいたものと思う。自分の事ながら、それだけ古い昔のことなのです。

 いま「憂国の建白書」と言っているのは、三島由紀夫が口述しB4判の内閣印用紙にタイプされた24枚の文書で、表題は「武士道と軍国主義」および「正規軍と不正規軍」と書かれた文書の事であります。これは、昭和45年7月当時の保利官房長官から防衛に関する意見を求められて三島由紀夫が口述した由。中曽根氏などの関係もあり、文書は閣僚会議には出なかったようだ。
 
 36年も前の文書ですが、読み返すと古くて新しい味覚を感じるのでした。
 1945年からの戦後日本は、何も変らず平和だ。それが一番だと思った一日でした。(憂国の建白書 2006.12.22 isi OFC)

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2006.11.30

24(トウェンティフォー)

24(トウェンティフォー)
 深夜2時近くにアメリカのTVドラマ「24Ⅳ」日本語吹き替え版が放映されていて、それににはまっているのです。何が好いかと言うと、勧善懲悪ドラマなのです。「水戸黄門」です。もっと言うと、家族や国家を守るためには、同僚までも殺してしまう信念と真実の確信でしょうか。オートマチックガンで同僚の頭を打ち抜くシルエットは、脳みそのすみにこびりついて離れません。
 そんなことを考えた11月下旬でありました。

 1970年11月25日、作家 三島由紀夫は、信念と確信をもって自決いたしました。
 葬儀は、川端康成氏が執行。
辞世の句は
  「益荒男が手挟む太刀の鞘鳴りに幾年耐えて今日の初霜」
  「散るを厭う世にも人にも先駆けて散るこそ花と吹く小夜嵐」

 この日は「憂国忌」、 在京中は、毎年九段会館の「憂国忌」追悼集会に参加いたし、靖国に報したのでした。
 若輩でありますが、このことを義ととるのか愚ととるのかは、人でしょうか、時代でしょうか、まだまだ分からずにおりますところ。(24 isi OFC 2006.1.30)

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2006.11.28

小春日和(こはるびより)

Koharu061126
小春日和(こはるびより)
 「小春おばさん」という歌をだれか歌っていたナァーなどと思いながら空を見上げていました。
お隣のなくなったお婆さんは、コハルさんだったなどと思い出して目頭を熱くしたのでした。
宮城県北、北緯38度(+40分)の空は良く晴れています。
このあたりを、テポドンとかノドンが頭をこなしてゆくのですが、写真は空路の飛行機雲です。かなり物騒なお話ではありますが。
 暖かかった今年の秋も冬を迎える様子になりました、そんな里山の小春日和でした。
(小春日和 isi OFC 2006.11.26)

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ばっけ(ふきのとう)

ばっけ
ばっけ(ふきのとう)
 こ一時間の飼い犬の散歩で、ばっけを採ってきたのです。
あんまりありませんでした。
 1月2月だと積雪が断熱材になって、適当な水分がフキに行き渡るのでトウが出てきますから、雪を掘ってバッケ採りをするのです。里山では冬でも、そんなして春の香りを楽しむのです。
(ばっけ Kanaya Report 2006.11.28)

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2006.10.04

「黒い柿」

061004kuroikaki
黒い柿 苦労(くろ)が実り始めました。
鉢植えの「黒い柿」が色づいて来たのです。もちろん、柿色から黒色にです。
柿の実は緑色から少し柿色になったのですが、混合したまま黒色になって来ています。
さいたまの叔父が黒い柿をくれると言うので、貰って来たのです。なんと鉢植えの盆栽仕立てです。
9月上旬にはまだ緑色でしたが、10月の声を聞くあたりから、色づき始めたのでした。
「クロが実れ、クロが実れ」とお経のように語り聞かせながら、毎日水をやっているのです。(Kanaya Report) 

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家庭バレーボール

Barei
家庭バレーボール
 「家庭バレーボール」の普及は宮城県栗原市一迫が全国発信地であった。とのお話です・・・
「一迫町合併10年小史」(宮城県一迫町、昭和41年4月23日発行)によれば、「今全国的に普及している家庭バレーボールは、柳の目大館地区での”軒先バレー”に端を発し、県広報課でも十六ミリフィルムに収めてその普及に本腰を入れはじめた。」(昭和31年のページ)と、あります。
 なるほどナ、と思ったのでした。
 地区の広報を担当してからは、カメラを持って様々な行事を見てきましたが、「今日の栗駒山」眺望の地区の人々は、家庭バレーには異常な入れ込みをするのでした。感情移入をした後に、自分の肉体の限りをこのゲームにかけるのです。ゲーム中に病院に運ばれた方もおりました。そんな皆さんの、DNAの源流を垣間見た気がしたのでした。(Kanaya Report,2006.10.4)

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2006.08.01

ハス祭り

Photo_3ハス祭り
宮城県北の伊豆沼は、今、ハスの花が見どころです。
湖面を埋めるピンクの花と深い緑の葉が見事です。(Kanaya Report by moblog)

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2006.07.31

草刈禁止

草刈禁止
カメムシの発生が昨年より多く、草刈禁止の立て札が処処で見受けられます。
あぜの草を刈ると、田んぼの稲にカメムシが引っ越して食害が出るのだそうだ。
米に黒い点が出来るのです。(Kanaya Report by moblog)

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2006.07.30

今日の栗駒山

今日の栗駒山
夏を思わせる、「今日の栗駒山」眺望だ。
まだ梅雨はあけていないのですが、夏を思う。
(isi OFC by moblog)

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2006.06.17

黄色いさくらんぼ

Photo_2
3年前に植えた「さくらんぼ」の樹に、今年はたくさんの実がなった。
昨年は、5、6個の実だったのだが赤くなった順番に子供がついばんでいったので、味見できなかった。それが今年は豊作だ、ご近所への振る舞いパッケージはデザインをどうしよう、等と考えるほど実が多かったのだ。それなのに・・・・・
 入梅前の朝、妻が怪訝な顔をして勝手口のドアをあけて外から帰ってきた。その顔を見て隣近所で誰かが亡くなったのだと思った。
 「なんにもない」と、彼女は口走った。
 「昨日まであれだけあったさくらんぼが、今日は何にもない」と言うのだ。昨年は「さくらんぼ盗人」が横行したが、家庭用の一本の樹に盗人が来るはずもないと思いながらも、私はうろたえた。
 「はやくあじみしたかった」と思ったのだった。
 犯人は「ヒヨドリ」だ。昨年は、実が熟し始めた頃ヒヨドリが寄り付いたので、防鳥網でけん制した。今年は樹高が上がって網がかけにくかったから手抜きをして、CD3枚と偽鳥をつるした。そんなけん制が効果しなかったのだ。残ったのは、厳密に数えて「まずそうな黄色いさくらんぼ」3個だった。

「人生いろいろ、わたしも・・・」などと鼻歌をうたいがら、このさくらんぼの樹を見ていたら、一匹のシマヘビがスルスルと木登りをした。手足は見なかったが、まことに見事に登るのであった。
まことに見事に消えた「さくらんぼ盗人」は、あながちヒヨドリだけではあるまい。
(黄色いさくらんぼ 2006.6.16 isi OFC)

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一枚のレコード

1
宮城県築館高等学校は、旧制中学校の伝統を引き継いだバンカラ高校でした。
高下駄を履いてキタナイ服を着ているのが、ウリなのでした。
里山の少子高齢化で女子高と合併して閉校になったのですが、
 どっこい生きている。
あたらしい高校の校歌は同窓生「みなみらんぼう」さんの作曲だ。
そんなことで、大事にとってあったレコードの写真をUPします。
高校前のカレー店「ひろすけ」でマスターがおしえてくれた。
(一枚のレコード 2006.6.16 isi OFC)

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2006.05.25

グレーゾーン

ウコン桜
ウコン桜カキツバタと一緒に咲いています、近所の田植えも終わりきっていないのです。
そんな季節感が混在している里山なのです。
昨年の秋はどうだったろう = 紅葉と雪ふり。
 雪が降っては融け、また降っては融けた秋だったと思う。
今年の春はどうだったろう = 雪ふりの春
 雪が降っては融け、また降っては融けた春だったなと思う。
秋らしい秋や、春らしい春のなかったグレーゾーンの季節を経験した里山でした。

先日、知人のカワさんがやって来て愚痴をこぼして行った。
自分の噂話を小耳にはさんだのだが、腹が立つは悔しいはで夜も眠れないとの事だった。
何のことやら良く判らなかったのだが、言い分はこうだった。
「8年程前に会社勤めを辞め、フリープログラマーをやっているのだがその会社を退職したのは、女子社員と不倫関係になりそれが理由で解雇されたと流言飛語されている。」とのこと。
そんな昔のことを、面白おかしくデマゴギーされるにはそれで得をする人がいるからだろうと心当たりを聞いてみた。「2年程前に冗談交じりに選挙に出ますと、言ったことがありそれからデマが広まり始めた、名誉毀損だし人権侵害されている」と憤るのだった。
誰だってグレーゾーンはあるだろうが、選挙がらみになると決まって出るデマの定番にはめられたようだ。女性関係と金の使い込みがこの手の里山定番なのです。
ちなみにカワさんは選挙には出ないそうですが、新人で出る同級生あたりがデマ発信人と目星をつけているようだった。健闘を祈っている。(Kanaya Report 2006.5.20)

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2006.04.06

それでも雪は降る

シイタケ
4月になった。里山だって春本番だと誰れでも思っている。
しかし、それでも雪は降っているのです。
昼近くの気温約5℃の頃、吹雪の様相を呈した本日の里山です。
しつっこいのです。
例えば、あくまで例えばデスが、酔っ払いオヤジが若い女子社員に受けようとして駄洒落を連発した挙句「しつっこいヮネ!」といわれた時のような、わきまえのない空虚な雰囲気が漂っているのだ。
札幌では22年ぶりの大雪だそうな。
ところで、路地栽培のシイタケは例年より1ヶ月ほど遅く、今ごろ出てきています。
蕗のトウ(バッケ)がいつもより早めで、結構な数が出ていますが今冬の雪が多く水分に事欠かなかったせいでしょう。それに引きかえ、気温が低くキノコの発生には適さない今春だったのでしょう。
(それでも雪は降る 2006.4.6 Kanaya Report)

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2006.03.30

春雪

Haruyuki
幸運の女神には後ろ髪が無いという。
通り過ぎてしまったら、いくら後ろ髪にすがりつこうとしても出来ないのダ、ということらしい。
里山に春が来たと言ったら、昨日からの降雪で外は白くなっていた。春雪の吹き降りだ。
♪ほほ笑み返しは空からの白い手紙・・・などと鼻歌を歌いながら次の女神を、いや春を待っている。
(春雪 2006.3.30 KanayaReport)

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2006.03.28

里山に春がやって来た

Haru_2春は、玄関のドアを4回ノックして訪問を告げたのだった・・・・」 とはならないので、現場写真を撮ったのです。
 いわば、足跡を証拠として春到来を立証しようというわけなのです。まず目に付くのが「フキノトウ」、辺りには緑モノがまだまだ無い中で、ひときわ目立って春先を独り占めしています。間違いなく春を実感させるベンチマークなのだ。ここら辺りでは、「バッケ」と呼んでいる。末家、分家の事であるらしい。花が咲き種子を放出すると、本家のフキが登場する次第になっているのだ。
 フキは優秀な食材なのだが、バッケも負けてはいない。天ぷらやバッケ味噌などは、里山の春先メニュー定番だ。とはいっても、数寄者は正月に雪を掘り起こしてバッケ採りをするから、雪の下には春が眠っているということだし、里山では雪がとけると春になるのです、とゆうことなのでしょう。
 御三家の梅・桃・桜は写真のようなつぼみですが、色づいて膨らむ様子が日々、目で分かる様になってきました。ここの里山では開花時期が大体同じです。御三家の揃い踏みで、一気にお花見となります。
 そんなこんな、現場からのレポートはまだまだ続きます・・・・・
(里山に春がやって来た 2006.3.28 Kanaya Report)

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2005.11.10

里山の紅葉

koma051110cocolog
紅葉はだれだ、尾崎です
白葉はだれだ、中村です

昨日今日で、いきなり秋色に染まる里山を見ながら昔の会話を思い出していました
30年も前のことなのですが、脳みそのヒダのどこからかこぼれ落ちてくるのです
もう亡くなった昔の小説家ですけどもね、
チェーホフなどは、中村白葉訳で読んだものでした
そんなことを、彷彿された里山は冬を迎えています、
今年は、秋冬の足し算だ、答えはどんなものでしょう
(2005.11.10 isi offc)

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2005.11.06

黒い柿

kuroikaki
黒い柿(くろいかき)。
 こんな柿、見た事ないよな!と思ったのでした。
 盆栽好事家の叔父貴が持ってきた柿です。

 黒天目に柿右衛門の朱をたらした様子にも見えるのです
 紅葉なんですね
 一期一会でしょうか (2005.11.6 isi offc)

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2005.11.03

栗駒山の紅葉スリー

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栗駒山の紅葉スリー。
 栗駒山の紅葉を10月の東栗駒山から見るとこうなります。
 いったい何処が紅葉しているんだ、と言われそうですが、本峰斜面の茶色が草紅葉なのです。
 栗駒山は、標高1627mと背丈は低いのですが、北緯38度57分の緯度ですから、1000mを超えると森林限界なのでアリます。これは、高い樹木がないと言うことなのですが、写真の緑は這松地帯です。
 緑はナンダ、赤はナンダ、黄色はナンダといい始めると止め処なくうるさくなりますので止め。
    旦那のナンダ、?、ナンダは旦那、?
 以上、栗駒山の紅葉はとても好いゾという自己主張なのでありました。
 (写真は数年前のですが、写真中央右の白い2点は残雪です)
(トラックバック野郎お題 2005.11.3 Kanaya Report)

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2005.11.02

栗駒山の紅葉ツー

kurikomaAki
栗駒山の紅葉ツー。
栗駒山の紅葉は天下一品であります。
天の下、これにたがうもの無しという景色なのです。
以上、2行の絶賛形容なんですが写真は数年前のものです。今年は夏から秋にかけて結構暑かったものですから紅葉は遅いのでした。栗駒山周辺で約2週間の遅れ、紅葉程度はそこそこの好い加減、バラつくのであります。
 なる様になる自然と感じるか、なる様になった自然と見えるのかは人様のそれぞれでございますかra。(トラックバック野郎お題 2005.11.2 Kanaya Report)

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2005.11.01

栗駒山の紅葉

narukokyo

栗駒山の紅葉(鳴子峡)
 栗駒山の紅葉は、天下一品だと思っている。全山が紅葉するのです。
 その中でも秀逸なのが、鳴子峡(なるこきょう)。源の義経の子供が産湯をつかい、鳴き声をあげたところから付いた地名だと伝説は言う。鳴子峡下流入口「奥の細道・尿前(しとまえ)の関」はこの子供が小便をした所とも伝説される。そんな、ロマンチックな伝説の紅葉だ。
 伝説の信頼度はさておき、栗駒山の紅葉は1,000mを降りました。山麓と、鳴子峡辺りが見ごろなのであります。鳴子峡の紅葉見物は100mほど峡谷に下りますので、時間とか足ごしらえとか登山バージョンの心掛けが必要なことです。(トラックバック野郎お題 2005.11.1 kanaya Report)
追伸:鳴子峡入口の「日本こけし館」には「トラックバック野郎」兄やん、菅原文太さん寄贈であります「狭間コレクション」があります。

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2005.09.17

ミョウガの花

myoga
ミョウガの花が咲いている。
よくよく見ると、蘭のような美しい花だ。
畳半分ほどの地面に、自家用のミョウガを植えています。
この半畳の空間が意外と面白いのです。

 花〇は:ミョウガの花
 モミガラ床なので:各種のへびが集まる
 ふるたビッキ、ガマが涼んでいる
 茗荷竹は越境しない
 路地で、寒に負けず越冬する宿根草
 素麺とやっこの薬味に欠かせない
 しゃきっと立つ姿勢が良い
 食料であり、人の役に立っている
 等々

そんなことを考えながら、この花を眺めていると楽しい
(ミョウガの花 2005.9.17 Kanaya Report)

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2005.08.27

海峡を渡った優勝旗の値段

 「夏の甲子園」で57年ぶりに二大会連続優勝した駒澤大学付属苫小牧高校の処理扱いには疑義があるのです。
 当通信には、なじみのない話題でありますが、言いたい。
 言います。

 この件については、あきらかに刑事事件なのですが、加害者と被害者の関係があまり良く理解できないまま、TV番組のバラエティのように進んでいるのですね。


 刑事事件の被害者がいるのに、被害届や提訴はあったんでしょうか。

 そんなことを考えながら、津軽海峡をわたった、夏の甲子園野球の優勝旗の値段を考えたのです。

  優勝旗は、いくらですか?

 選挙も近いので、相当、結構なァお値段と、踏んだことでした。
(海峡を渡った優勝旗の値段 2005.8.27.isi OF)

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2005.08.26

裏山清水の山椒魚

sansho


「小泉ではありません、泉の山椒魚です。
名前はつけてもらっていません。
裏山の清水(すず)に住んでおります。
この辺りもあまり景気が良くないのですが、今年も元気やっております。」

写真を撮りながら、そんな伝言をもらった気がしたのでした。
小学校のあたりに熊が出たという地域の防災放送があった。
里山では各地区に設置されたスピーカで防災のための案内放送がされるのだ。
どこそこの火事は鎮火されました、このような方を見かけませんかとか。
地域共同体だ。

地域共同体の一員、裏山の清水にいる山椒魚を先日見に行った。
浅くなった清水に、今年も山椒魚の子達は繁殖していた。
皆元気がない。孵化しないものもいた。
頑張ってほしい、小泉の山椒魚。(どうしたもんか)

(裏山清水の山椒魚 2005.6.12 Kanaya Report)

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サボった。

h17


ブログの更新をサボった。
遊びほうけていたのです。

PCで「さぼった」と入力すると、「サボった」と表示されます。
手元のコンサイスを引いた。
「サボ・る」はサボタージュのことで、労働争議の戦術、怠けること、とあった。
また、ずる休みともあった。

ずるはしていないので、真面目にサボったと言います。
そんなことで、ご勘弁いただきたい。 (2005.8.26.isi OF)

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2005.05.31

 I ターン白鳥

Iターン白鳥

用事ついでに立ち寄った内沼で数羽の白鳥を見かけた。
青葉若葉の里山にいる白鳥です。
「しらとりは悲しからずや、空の青、海の青にも染まずただよう」そんな、詩を思い出して近寄ってみた。
羽を休めて、故郷に帰る日を待っているのかと思った。

 その思いは気休めだった。
 足を引きずり、毛のない羽をぶら下げているのだ。
 行く当てのないIターン生活だった。
 悲しかった、うんと悲しかった。

 詩は続く
 「幾山河 越えさりゆかば
 さびしさの はてなむ国ぞ
 きょうも旅ゆく
 いざゆかむ 行きてまだ見ぬ
 山を見む このさびしさに
 君は耐うるや」牧水

 補:内沼(うちぬま)は、ラムサール条約に登録されている宮城県の伊豆沼(いずぬま)の環境保護地域の一部です
(Iターン白鳥 2005.5.31 Kanaya Report)

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2005.05.20

鼻歌をうたうか!

鼻で歌がうたえるものかと思い、試してみたのです

aiueo,waiueo,eaiuo,aonn
kakikukeko,gagigugego,sasisuseso,zazizuzezo

みんな、鼻から空気が抜けて行くんだ。
口を閉じているのだから、あたり前のことなんですね。
いい年をしてバカをやっているなと思い、窓を開けて煙草をすっていた。
思いついてすう煙草だから、貴重なのです。
窓外の田植えの終った田圃では蛙の合唱が聞こえているのだった。

グゥワ,グゥヮ、クェ,クエ、ケヶ,ヶケ、グゥグォ.........

こいつら、やっぱり鼻からイキを抜いているんだよな!
蛙は鼻で歌をうたっているんだな、そんな答えをもらった様な気がした。
カエルのガッショウは里山のガァッコウ先生だ。

いつも、里山から人生をおしえてもらっている。
(トラックバック野郎お題 2005.5.20 isi OF)

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2005.03.25

コップ一杯の豆乳

 浅草の勤務先へ行く途中に豆腐屋さんがあった。
 朝7時頃までは店先に豆乳が入ったコップが置いてあるのだった。
 皆、マイカップ持参のリザーブだ。そのうち、仲間入りしたいと思った。
 「ええ、コップを持ってくればついで置きますよ!」とオヤジさんは言った。

 昭和64年1月7日朝7時過ぎ、見慣れた後姿の常連がオヤジさんと話していた。
 「陛下はどうだろうかね」,「先ほど崩御されたとNewsがありました」
 自分の中で何かがはじけた。
 一時代が終わったと思った。
 コップ一杯の豆乳を飲まずじまいで、私の東京生活は終わった。
 空のマイカップを抱えたまま、そんなことからUターンしたのだった。
 4月1日から里山も市だ。
 また、何かがはじけそうな里山暮らしだ。

 そんな、近況です。(2005.3.24 isi OF.)

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2005.03.08

記念塔(きねんとう)

koma9302.jpg
一枚の写真から:記念塔
 平成5年の栗駒山眺望写真を続けて眺めてみます。

 写真中央の旧中学校は宮城県一迫商業高等学校です。今は新築され「オラほの野球部」は今春の選抜高校野球で甲子園へ初出場することになりました。努力という言葉の意味を、オラが町の野球部はおしえてくれました。
 この校舎と栗駒山頂を結んだ線の中間に、夜間に青光りする常夜灯が見えます。
 写真中央を横切る、黒い稜線の右端は「お姫さまの松」がある東館、そして常夜灯がある写真中央は西館と呼ばれています。常夜灯は特別に甲子園初出場をお祝いしたものではなく、以前からあったものでした。
 「今日の栗駒山」眺望写真の中央に位置する、一商、記念塔、栗駒山頂を里山レポーターはうれしく思っています。

 「記念塔」は仙北電気株式会社の功績を伝えようとして建設された由。大正2年から昭和4年までの約16年間に栗原郡全域と玉造郡に電力を供給し、電気事業が県営事業となるまで続けたようだ。まさに、パイオニアである。旧時代ゆえ、株式の募集や取り扱いなど逸話も多くあったそうだが、今の時代からみても笑える話ではないのだ。
 この事業を記念して、鉄筋コンクリート製の大きな永久灯が建設された。ところが、太平洋戦争中に軍事物資の供給源と目された三菱金属細倉鉱山を攻撃目標に米軍のB29爆撃機が飛来するようになって、解体。
 解体の時は、昭和20年8月15日、翌日終戦となった(一迫町史)
 終戦間際では、南蔵王不亡山に米軍のB29が吹雪の夜、激突して乗員ともども大破している。栗駒山をめざしたのではないかと思うと、悲しいものだ。

 時代を超えて、パイオニアはいる。里山を侮ってくれるな。

 4月から市制になる里山だが、記念塔の灯りを見ながら、そんなことを思った。(2005.3.8 Kanaya Report)

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2005.02.01

甲子園初出場

 一迫商業高等学校野球部(いちはさましょうぎょう)
 甲子園初出場おめでとう!

 やったね、やっとだねと思っている。
 里山の耕された地面に広く根を張った実力が、認められたのだ。
 人口一万人に満たない里山から、初出陣である。
 頑張ってほしい。自分たちの力のかぎりを試してもらいたい。

 『今日の栗駒山』の写真中央で栗駒山頂に額ずくようにたたずむ校舎だ。
 これからも、毎朝眺めて暮らす。

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2004.11.17

姫松(ひめまつ)

1993年2月の栗駒山眺望1枚の写真から:お姫さまの松
 1993年(H5)の栗駒山眺望写真から。
 お姫さまの松は写真中央を横切る黒い稜線の一番右端にあった。
 断崖に突き出た懸崖の老松だったが、松くい虫で枯れてしまい今はない。
 里山の中学生にとって、この老松は大きな試金石だった。足の下100メートルもあろうかと言う断崖の大木によじ登るのが、肝試しだった。松の木にお姫様がいて、「欲しかったらここまで飛んで来い」などと、潮騒の山口百恵みたいなセリフを言っていたなら魅力があるが、そうはいかない。ノーザイルのフリークライミングなのだ。
 伝説はいう。要害の城にあった千代姫は落城の折この松の木から身を投げたと。(オイデ、オイデが怖いのだ)
 松くい虫の被害は周辺一帯のみならず、広い範囲に及んでいる。ところが、隣村では1本の被害もないという。地域格差である。森林や昆虫類も多いであろう山村に、きつつきが移住してしまったのだ。天敵のいなくなった松くい虫は松の木食いホウダイというわけだ。
 そんなわけで、お姫さまの松は枯れ、きつつき集めの巣箱が増えたのだ。きつつき様早く戻って来ないかなと思っている。(2004.11.17 Kanaya Report)

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そー、オリジナルな健康法ですか!

妻は、昔の友人に久しぶりのメールを送っていた。

 元気にしています、
 いつもメールありがとうございます。
 毎朝、犬と散歩をするのが元気の源だと思っています。
 ペットでいやされている私は、ずい分年をとったんだなと、思う今日このごろです。

今日は、なぜかずい分と酔ってしまった。(トラックバック野郎お題 2004.11.17 Kanaya Report)

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2004.11.11

今日の栗駒山

1993年2月の栗駒山眺望1枚の写真から:栗駒山
 平成5年の栗駒山です。11年後の今の眺望と当時の写真に大きな変化は見えません。
 しかし、写真に見えない大きな変化がありました。山頂の座標(緯経度)表示が大きく変わっています。別に栗駒山自体が移動したわけではありません。国土地理院の地図表記が変わったのです。2001年6月の測量法改正にともない、2002年4月以降経緯度の表示は世界測地系に基づくものを利用することとなったのです。
 これによって具体的に私たちが大きな影響を受けることといえば、GPSを利用した冬期の登山を行うときでしょう。栗駒山は独立峰で、受ける風が強く降雪量も少なくありません。ホワイトアウトで自分の位置を見失った時、コンパスは北の方向を教えてくれますが非難小屋の方向を教えてはくれません。この時GPSを使えば、視界がなくても非難小屋や目的地まで導いてくれます。しかし、測地系の設定と目的地の座標(経緯度)が使い方にあっていなければ、何の役にも立ちません。そして、文明の利器と命を引き換える事になります。
 地図のついでですが、栗駒山(くりこまやま)は岩手県では須川岳(すかわだけ)と言われています。登山口の温泉は、須川高原温泉です。しかし山頂三角点名は酢川岳(すがわだけ)、また東栗駒山新湯森(しんゆもり)と国土地理院では記録されています。
 そんなことを考えながら、この1枚の写真を眺めてみると山の表情が少し変わって見えるような気がしてきます。(2004.11.11 Kanaya Report)

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2004.11.08

新制中学校校舎

koma9302.jpg一枚の写真から:校舎
 ここに一枚の写真がある。平成の栗駒山だ。
 正確に言えば、平成5年(1993年)2月の栗駒山だ。Webサイト「今日の栗駒山」で掲出している眺望定点から見た、昨日の栗駒山である。前世紀の眺めだ。平成の時は流れる。
 5年程前から、Webサイト「今日の栗駒山」で同じ眺めを掲出しているが、平凡な風景だ。と、自分でも思っているが、ご覧の皆様もそう思っているだろう事だ。同じところでカメラのシャッターをきれば、誰でも同じ写真が撮れるのだ。そんな平々凡々な風景を、毎日のように5年間もWebサイトに掲載してきた。これは、ストーカーまがいの犯罪であろうか、などと考える。いやに気どってしまった。

 さて、11年前の写真を見ながら、平成のここ10年間で里山はどう変わったのか、レポートします。
 写真中央に、白く見える構造物、建物がある。町で唯一の高等学校だ。東北で屈指の野球高校でもある。甲子園出場が待たれるところだが、まだ実現していない。がんばってほしい。TVやラジオの試合中継では、小さな町から大きな力のチームが登場しました、などといわれるエポックメーキングな存在なのだ。「今日の栗駒山」定点眺望写真中央に、いつもあることが、誇らしくうれしいことだ。とはいえ、この校舎は今はない。
 この校舎は、以前中学校だった。kanayaが通学した中学校である。戦後(第2次世界大戦)、学制が変わり新制中学校が出来た。現在の中学校制度だ。その折、力を入れて作ったものか、コンクリートの3階建て校舎で屋上もあった。建設当時はモデルスクールであったというが、中身は里山暮らしを反映する。冬期の暖房は薪ストーブで、薪がなくなれば書庫の扉などをたたき割って暖をとった、燃えるものは何でも燃やした由、聞き覚えた。そんな校舎であった。今はない、悲しいね。(2004.11.8 Kanaya Report)

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2004.11.05

「ある明治人の記録」

ある明治人の記録」会津人柴五郎の遺書(石光真人編著)

 新撰組ものに飽きたら、この本を読んでみればいい。里山の生活がよくわかるだろう。もちろん、維新の頃のだ。
 本文の趣旨は里山生活ではないが、野に置かれた人間がどのように生活してゆくものか知ることになる。また、新撰組の親分たる会津藩主松平容保以下の敗戦後生活や、会津藩士たる柴一家が西南戦争で薩摩藩にどう関わったのか、事実は小説の構想を超える。

 どうも肩がこってきた・・・これは士族の里山暮らしはどうなるのか、というレポートだ。里山人にとって驚くほどの事ではない、とはいえ文章に顕われないシンジツはいつの世にも存在するのだ。編著者は、内容の説明は出来ないので、まず読めといっている。(流れた涙は干からびるだろう)
 30年近い前、安岡章太郎氏の書評につられて読んだ本である。新書版なので当時の電車通学には手ごろな時間つぶしであった。今回はTV番組の「新撰組」につられて読み返したのだが、番組を見るたんびにTVがモノクロームに見える。こまったもんだ。
補:柴五郎は、のち陸軍大将。兄、柴四朗は政治小説「佳人之奇遇」著者。編著者、石光真人は参謀本部諜報石光真清の子息と記憶している。(トラックバック野郎お題 2004.11.5 Kanaya Report)

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2004.11.02

鎮守の森は昔も今も変わらない

kojin.jpg ♪任侠の男、吉良の仁吉の遺体が荒神山から吉良港へ帰ったのは霧の深い朝だったという・・・ こうして、幼い時から男の行く道を心に刻み込まれた一人の青年が今、ふるさとを旅立ってゆく。それは大いなる志に燃える、人生劇場の門出であった・・・・・♪♪やーると思えばあーどこまあーでぇ・・・・

 名調芥川ナレーションを模してから、大声で「人生劇場」をわめく様に高歌放吟したのは30年も前のことだった。どんなことでも不可能なことはないと思い、人生のバラ色設計図を携えていたものである。・・・のっけから、おやじ調になった。

 家の前の荒神さまが祭礼なのだ。40年も前は、20数件あるこの集落から同年代のガキ連中が20数人は集まってきて大騒ぎをしていた思い出がある。露天商が来ていた事もあった。今は、小中学生合わせても十指で足りてしまう子供たちは誰ひとり姿をみせはしない。夢のようとか、面影もないという言葉の本当の意味は、人生を通じて知ることになった。
 祭礼に来る人はほとんどいないのだが、祭事や社周辺の維持管理は持主さんが行っている。祭礼では幟を建て、神官様を招請して神事を行うのだ。日常的には、家一軒分もあろう敷地の杉林や雑草の手入れが必要だ。しきたりとは言え、一民家が長い間、変わることなく同じように手間隙をかけて維持しているのだ。心から、ありがたいことだと思う。
 ここの荒神さまは産土の神なのだが、古い時代の年寄りは失火を免れた折など神酒をあげていたようなので、三宝荒神でありカマドの神様でもあるようだ。狭い境内に佇んでいると、集落の生活や歴史の篭った鎮守の森が昔も今も変わらないであり続けるのには、とても難しい時代に入ったのではないかと思ったのである。(2004.11.02 Kanaya Report)

「今日の栗駒山」2004.11.2
 一昨日から雨模様が続き、やや高めの気温に視界の悪い霧がかかり栗駒山の眺望はまったくなかった。昨日夜半から雷雨となり、白昼の様な閃光と地揺れを伴った雷鳴が深夜の空気を切り裂いていた。雷鳴が一息ついたあたりから、こんどは忙しそうに雨粒が屋根板をたたく音がし始めていた。前線の通過だ。今年の秋空は、なかなか高くならない。

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2004.11.01

はじめまして

 初めまして、kanaya といいます。
 「金矢通信」(かなやつうしん)を掲出いたします。
 金矢(かなや)というのは、宮城県北部の岩手県境に近い一集落の地名です。
 Webサイト「今日の栗駒山」(http://homepage1.nifty.com/kurikoma/)で、この集落から眺望する栗駒山の写真を掲出していますが、サブページの「金矢通信」を文章主体の別趣旨でこのblogに出したく思っています。
 Web「金矢通信」の発行趣旨は、「当通信は、栗駒山を望む標高50mの里山から、四季折々の風物詩をお届けしています」ということになっているのですが、紙面の都合もありblogもお借りして里山のありきたりな日常生活のレポートや、本音を交えた現状などをお伝えいたします。
 里山の少子高齢化は、気持ちではかなり深刻だと思うのですが、地元住民としての定性的な心情ばかりではなく、深刻さの度合いを定量化して、いってみれば荒廃の一途を辿る里山を見直す場ともなればいいなと考えています。(2004.11.1 Kanaya Report)

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